暗黒回帰 その3 霧香はなぜ「特別」なのか

アルテナの思惑は『真のノワール』を生み出すこと そのために、三本の苗木の内、二本を選ぶことであったのは間違いないところです。

 

アルテナの同志ボルヌの言葉に、苗木の素質はいずれ劣らぬものであったこと、それゆえに、故意にソルダの外でコルシカの娘を育てたのは失敗であったというものがあります。ミレイユが霧香やクロエのように軍隊すら相手にできるキリングマシーンではないのが確かですが、アルテナがミレイユに求めたものは戦闘力ではなく、『愛のなかの愛』『罪のなかの罪』を認識できる精神であり、それを持って、霧香を導く事だったのでしょう。その意味では、ミレイユも「特別」なのですが、これは後述しようと思います。

 

他の二人も、クロエのように荘園で純粋なキリングマシーンとして育てて、その内、気リングマシーンとして性能のすぐれた二体を「ノワール」にする・・・というのはアルテナの意図するところではなかった ボルヌたちにはあるいはそういう意図があるように誤解させるように振舞っていたのかもしれません

 

霧香がクロエを上回るキリングマシーンとしての性能を持っているから、記憶を奪い、夕叢霧香という仮の人格を与えて、罪悪感を背負って、愛のために、人を殺める「真のノワール」の第一候補としたから、「特別」というわけでもありません。なぜなら、そもそも幼い霧香にブーケの家族皆殺しという「罪」を背負わせている時点で、アルテナにとって、霧香は「特別」な存在であり、後に、ミレイユと邂逅させて、過去への巡礼をさせる意図であったと考えられるからです。(このアルテナの意図を即座に理解したオデットとアルテナの関係も興味深いところです。)

 

何故、霧香なのか、これはノワールにはまっていた当時も見当がつかないところだったのですが、見返してみると、アルテナが霧香に「真のノワール」になるという果たせなかった自分の夢の実現を最も期待していた理由として一つ思いついたものがあります。それは、霧香はアルテナと同じような戦災孤児=嬰児であり、かつ、無残な暴力に晒されたアルテナ自身と違って、人間という存在を根本的に憎むということから抜け出せる可能性を持っているとアルテナが認識していたというものです。霧香が無惨な暴力から誰かの手によって救われたか、あるいは、自らの卓越した能力や幸運で逃れえたのではないか、そんな妄想wが浮かんでいます。

自分の夢を娘に押し付ける母親(今の言葉だと毒親でしょうか)のような想い

 

 

暗黒回帰 その2

もう一つ、アルテナの「愛で人を殺せるなら、憎しみで人を救えもするだろう」という言葉も大きな意味を持っているのですが、ここは特に前半の「愛で人を殺す」というのがどういうことなのか 今ひとつはっきりしないところなので、ここも注目してみかえそうかなと。一つ、思い浮かぶのは霧香とクロエの最後のからみ・・・でしょうか

クロエが憎しみでミレイユを殺そうとしていたのは明らかですが、その結果は誰も救われない結末になった。

 一方で、この言葉に対して、オデットが「確かに愛が人を殺す事はある。しかし、憎しみで人は救えはしない。」と幼い霧香を前に反論しているシーンが25年前からw非常に印象的です。アルテナとオデットの関係をうかがわせる部分で、当時は2人はノワールのような存在だったのかもと盛り上がっていました。

 

アルテナはなかなか分かりにくい部分があるのですが、クロエに対してある種の愛情はあったのでしょうが、過去のトラウマから人間という存在そのものを憎んでおり、そこから抜け出す事はついにできなかったように思います。

「真のノワール」になるには、自らを導いた司祭を殺して原罪を背負うことが最後の試練という固い信仰があり、自分の下で純粋無垢なキリングマシーンとして育て、自分を母のように慕うクロエにはそれは困難だとどこかで悟っていたようでもあります。

 

 

暗黒「ノワール」回帰 25年ぶりw

ブックオフでノワールのDVD最終巻を見つけ、とてつもなくはまっていたことを思い返しました。真下監督のいうところの美少女三部作であり、梶浦由記さんのMVビデオwという要素もあるのですが、構成担当の月村了衛さんの提示した「真のノワール」という設定に惹かれて、リアルタイムで視聴完走した思い出の深夜アニメです。

 

いきなり、ネタバレに入りますがw三本の苗木の内、二本を「真のノワール」に選定するための残酷な儀式である試練。当時はそれに苦しむ苗木たちへの感情移入していたのですが、25年も経って見返すとw、その儀式の司祭であったアルテナの目指していたものを少しだけ分かるようになった気がします。

 

アルテナの過去が「安らかなるを守りたもう」者が現れなかった「嬰児」そのものであって、それゆえに、殺すという罪を犯して弱きものを守る「真のノワール」の復活を望んでいたというのは作中で示唆されていました。壊れた十字架の形の窓は神がいないという絶望の表現なのはほぼ間違いないでしょう。コレは当時も到達していましたw

 

ただ、原初「ソルダ」において、何故「真のノワール」が死を司る二人の乙女であったのか? ここまで考えが及んでいませんでした。

一般的にいえば、男性の方が体力があり、弱き者を守るにはより適しているとも思えるところです。

『ソルダ』が兵士の意味であり、ノワールの誕生が戦火の中であったという事を考えたとき、男性兵士が戦場において犯す罪を裁く処刑人として生まれたのが『真のノワール』とすれば、アルテナの事例を思い起こすように、今も昔も戦場で女性が暴力の被害者になることは極めて多かったと考えられ、そうすると、被害者に代わって罪を裁くのは「乙女」でなければならなかったというのが起源ではなかったのか。それがいつの間にか、女性の殺し屋ユニットの隠語に変質していった。アルテナはそれが許せなかったのかも。

そんな事が思い浮かびました。 ちなみに、ノワールのストーリーでアルテナが始めて登場するのが「迷い猫」 捕虜虐殺事件がテーマの話でしたが、霧香とミレイユにこの仕事を依頼したのは実はアルテナの意図が働いていたかもしれない・・・というのは今回見返し始めて気づいたところです(愚鈍で情けないw) 真のノワールが戦場の罪を裁く処刑人を起源とするなら、二人への試練の始まりとしてアルテナがこの仕事を選んだ理由がありそうです。

 

まあ、見当外れかもしれませんが、好きなことを書き散らかせるのが素人のいいところです。

 

DVDはゆっくりブックオフめぐりデモしてそろえようかと思っているので、また、なんかの拍子に妄想を書き連ねようと思います

名探偵コナン ひょっとすると、極めて重大な伏線回?

アニメのコナンで、梓とコナンが誘拐されるという話が流されました。が、割りと、本筋はギャグ調で殺人ラブコメwにしては珍しく人死にもない・・・

と、原作を読んだ時に思っていたのですが、多くのコナンマニアが重大な伏線がでたのではないか!と感じているようです。

 

それはゲストキャラとして登場した赤ん坊をベビーカーに乗せたおばあさん・・・というか、なぜか黒塗りだった赤ん坊に非常に注目が集まっています

『あの方』=烏丸蓮耶ではないかというのです

もしそうだとすれば、おばあさんは安室がボスと特別な関係にある事を指摘した変装したベルモットの可能性も高い

 

コレは直感的にかなりイイ線をついている気がします 100を優に越している烏丸蓮耶が未だに組織のトップでいるという事で、何らかの延命措置を講じているのはほぼ確実でしょう 一方で、組織のメンバーの前にずっと姿をみせていないようです(№2のラムがボスの正体を気にかけている描写があります)

アポトキシンにより、若返りすぎて、赤ん坊の姿になった、あるいは、アポトキシンのプロトタイプの薬で若返りが止まらないというような副作用があり、赤ん坊の姿になったということも? 

 

では、なぜ登場したかですが、№2のラムがなぜか近くの寿司屋に勤めていてw、バーボンは現在も喫茶店でバイトということで、毛利探偵事務所、更に、江戸川コナンに興味を持っても不思議ではないでしょう ただ、バーボンにボスとの関係云々を知られていることをベルモットがボスに報告しているかといえば、それはないかも

とにかく、注目回ということで取り上げてみました

 

ちなみに、おばあさんが猫アレルギーでくしゃみをしたことから、ベルモットも猫アレルギーとの推測もあるようですが、誘拐犯のヒントを与えるために、あえて、猫アレルギーのフリをしたというのもベルモットらしい茶目っ気という気がします

あと、本当に猫アレルギーだと、蘭はゴロちゃん、安室は大佐と猫に接しているので

くしゃみがとまらないということだと、千の顔を持つ魔女的にどうなのかwという気がします

 

続・MAO雑感(最も根本的な謎2)

昨日、久しぶりに「御降家最後の日』を考えてみて、頭に浮かんできたことがあります。

 

実は、あの日、猫鬼=灰丸が紗那の下を離れて、泰山府君の秘術を会得してから、退魔の槍で刺された瀕死の状態で、摩緒のところに現れるまで何が起こったのかが分からない 菜花と話している時の灰丸の回想ですが、灰丸が紗那の亡骸を見つめるイメージがありました 泰山府君の秘術を会得してから、紗那のところに戻ったが、すでに紗那は

死んでいたということなのでしょう

そこから、退魔の槍の攻撃を受けるのですが、これが最強の蟲毒である猫鬼にも通じる呪具であることを知っているのは師匠が亡き後、実子である不知火しかいないではないでしょうか 実際、不知火は御降家で対猫鬼の指揮を執っている描写があります

真砂が絶命した現場から、不知火がどういう経緯で御降家に戻ったのかは明らかでありません 不知火については、もう一つ、五色堂とは無関係のはずなのに、どうして9

00年生き延びているのかも謎です。幽羅子や紗那の心臓はおそらく妖を通じて壺結の術を影響を受けているのですが、不知火は妖とは無縁

 

ただ、昨日、真砂の死に自分が関与したことを気に病む紗那のために、灰丸=猫鬼が真砂の命をつなぐために泰山府君の術を喰らい、会得したのではないかと予測しました

その延長なのですが、灰丸=猫鬼が真砂の死の現場に向かい、実際泰山府君を使おうとしたと考えると、それなりに話が通じるような気がしてきました。

命をつなぐためには、誰かの命が必要なわけですが、そこで、不知火が自分の命を

捧げることを申し出て!、術が開始された が、紗那の身に異変が起こったことを察知した灰丸=猫鬼が術を中断して、紗那の下に向う しかし、紗那は死んでおり、泰山府君の術を続ける理由がなくなった 一方で、真砂の命をつなぎたい不知火は泰山府君を続けようとしたが、既に術は灰丸=猫鬼のものになっており、術を奪回するために

退魔の槍を持ち出した・・・

不知火が900年生き延びたのは泰山府君の術で真砂の命とつながりかけて、真砂を通じて、壺結の術の影響を受けているからで、未だに泰山府君の術に執着しているのは

泰山府君の術を完成させて真砂の命をつなぐために必要だから・・・?

 

どうでしょうかw それなりに筋は通っている妄想ではないかとちょっぴり自賛w

 

仮に、こんな感じだと、不知火もやはり幽羅子の兄で、報われない愛に一途な恋愛脳の持ち主なのかもしれません もう一人の妹である紗那もそうかもしれません 

 

 

MAO雑感 (もっとも根本的な謎)

アニメのMAOも始まりました。内容的に、原作を踏まえて丁寧に進めているイメージ

OPから白眉登場あたりがヤマになりそう

不知火、幽羅子が登場してきましたが、原作でこの話を追っていたときは当然彼らについての前提知識はなくw頭をひねっていたのを思いだしました

今はもう情報が溢れていて、知りたくもない情報wも次々入ってくるので、謎を追っていく形でMAOを楽しめた事はラッキーだったなと感じています。

 

その中で、もっとも根本的な謎 猫鬼=灰丸が摩緒にだした3つのお題のラストクエスチョン「師匠を殺したのは誰?」ですが、当初は大五と考えていました

が、その可能性はほぼなくなり、不知火、幽羅子は動機はあるけれども?

華紋について、灰丸から言及もあったのですが、確かに、御降家最後の日、ただ、ひたすら真砂を待っていたというのも不自然かなとは思っていたのですが、作中で取り上げられたことで逆に華紋犯人説はない気がします。

今のマイブームは、ひょっとして紗那かなというところです。紗那については、そもそもの性格に加えて、師匠を害するような手段を持っていないこと、師匠の遺体を見たとき意外そうな表情を見せたという百火の目撃談とかから、犯人説は頭になかったのですが・・・

自分が妖を使って真砂を死に至らしめたと幽羅子に嵌められた事によって、自分が

妖を使えることを悟ったといえそうです。

加えて、師匠が大五の魂を使って、何かをしようとしていた描写がありました。

猫鬼が、土人形を五色堂の守り神と呼んだことがあり、大五を五色堂の呪いに縛り付ける何らかの策略があり、それを許せなかった紗那が師匠に一撃を加えたところ、意外にも殺害に至ってしまったというような感じの妄想ですw

 

ちなみに、御降家最後の日に、灰丸=猫鬼が紗那の元を離れ、泰山府君の術を喰らいに行ったのが何故なのかも大きな疑問です 結果的に、紗那を一人にしてしまい、彼女の死につながったのは、灰丸=猫鬼の目論見ではなかったでしょう

泰山府君で誰かの命をつなごうとしたのではないか、そして、その誰かの延命こそが

あの日の紗那の望みをかなえる事だったというのが自分の推測です。

その「誰か」とは大五・・・?と当初は思っていたのですが、そもそも大五は壺結の術で不死であり、アノ時点で不知火により殺されることはないと灰丸=猫鬼が知っていたはずです となると、大五ではない・・・? 

そこで、思いついたのが、紗那が殺めてしまった真砂の命をつなぐため、罪悪感から自死しかねない紗那を救うために、泰山府君の術を会得したのではないか

真砂に泰山府君の術をかけはじめたが、心臓を抉りとられた紗那が死に、灰丸=猫鬼が真砂の命をつなぐ理由がなくなったので術を放棄したのではないか

真砂を救おうと、不知火が猫鬼の泰山府君の術を必死に求めようとしているのと符合する気もします

まあ、当たっているかどうか、自信はないですが、こんな事を考えながら、盛り上がってきた原作もアニメ共々追っていこうと思っています

 

 

マツキタツヤ氏が別名で原作復帰されていた点について・・・

このブログを始めたきっかけが、当時非常にはまっていた『アクタージュ」が原作者マツキタツヤ氏の不祥事で打ち切られた事なので、この件に触れないわけにもいかないですね・・・このニュースに初めて接した時は冷静ではいられず、数日間の冷却期間が必要でした(苦笑

 

小学館のマンガワンでの別の原作者起用の件が大きく取り上げられた関連で、明るみになったのですが、小学館の方からマツキ氏にコンタクトし、執行猶予期間の終了、本人の反省、また、原作を評価し、マツキ氏の過去についても知った上で、描いてみたいという意思を示された作画担当等、諸々の事情を踏まえての起用だったようです。

新作の内容は知らないのですが、マツキ氏は不祥事後、カウンセリングを受けており、その経験を踏まえて小説を出版目的ではなく、書かれていたということなので、その経験を踏まえての作品のようです。(とアナウンスはされていますw)

アナウンスを信じる限り、騒がれている事件の件とは異なり、それなりのプロセスを踏んでの起用のようです。

 

被害者の心情への配慮や加害者への更正機会を与えるといった議論は、ヲタクとしての自分が語る筋合いのものではない気がしています。

以前にも書いたとおり、作品世界を原作者が自らの手で完全に破壊してしまったことについての怒りは率直消えていないです。漫画原作者としてのマツキタツヤ氏は極刑だと強い表現を使いましたが、再出発をストレートに祝福する気にはどうにもなれない・・・

 

ただ、今回、新作品はマツキタツヤ名義ではなかったことから、なんとか別の原作者の別の作品があるんだなという認識でやり過ごすことは出来そうで、この作品も打ち切れと主張しようとも思えない

なにより、すでに新しい読者がいるのでしょうし、そういった人から作品を奪い取る

ような事に加担したくはない。

 

とりあえずは、こんなところでしょうか