久しぶりに、書き込みます。
といっても、アクタージュではなく、ヱヴァの新劇場版完結編の感想(笑
1、
Qのヒキが魂のルフランが流れるシト新生のヒキとあまりに違いすぎて
観るのを迷っていました。
結論からいうと、自分は観て正解でした。
ただ、ふしぎの海のナディアの最終回のようなある意味予定調和のストーリー
なので、そこはビミョーでした。
*追記1
ビミョーというか、 何か引っ掛かりを覚えるところだったのですが、ようやく自分なりに考えがまとまりました。
今回、前半の第三村の生活でシンジは「補完」されており、後半のフォースインパクトがらみで描かれたのは、「補完」がなって大人になったシンジと父ゲンドウとの対決≒「対話」であるというところでした。ナディアの場合、彼女の「補完」は最終決戦のなかで成されており、そこが完結編との違いですね。
逕庭拳wのような時間差があり、そこが引っ掛かりを覚えたところでした。
ただ、そう思ってみると、第三村での前半部分が非常に重要ということになります。再度、観ようという気になってきたのですが(笑、こんどは前半部分に集中したいと思います。
2、
その中では一番のサプライズだったイスカリオテのマリアオチは、
マグダラのマリアとイスカリオテのユダとの合わせ技?
このオチをいつから考えていたのかに興味があります。
登場させた時から、こういうオチの予定だったんでしょうか。
*追記2
ちなみに、マリは設定からいってシンジより一回り以上は年上であろうし、見かけはともかく大人の女性として、大人のシンジと接していく事になるんでしょう。
マリとシンジの触れ合いがほとんど描かれていないのになぜ?と不満を感じる人もおそらくいるかと思います。ただ、大人になったシンジに大人の恋人が出来たということを示す役割のキャラというのがマリの役回りだったと思えば、これもありというのが自分の考えです。
子供が大人になる話がエヴァンゲリオンで、大人の恋愛を描くのは、また別ということで(笑
3、
新劇場版を始めた時、庵野監督の前進宣言がありましたが
ストーリーを一歩進めたのでその意味では公約達成ですね。
監督も年齢的に14歳のシンジに感情移入するのは難しくなってくるだろうけど、
その割りに、大人や親の描き方が不満だったのでそこに踏み込んだ事自体は納得です。
ただ、大人の描き方が十分だったかは判断が難しい。
ミサトや梶といった実質的にシンジの親の役目を果たしていたキャラが自分たちの子を成して
シンジと距離が出来た反面、トウジ・ケンスケ・ヒカリといったキャラがいろんな経験の積み重ねを感じさせる本当の「大人」になって、補完計画によらずにシンジを救ったというのは味わい深いものがありますね。
一方で、ゲンドウはすごく小さな存在になっていきました。父親越えというのは少年にとっては
一つの大きな区切りなのですが、それがなったということですか。
4、
作画のことはよく分からないですが、庵野監督にしては止め絵が
結構多いように感じました。裁判とか、パンデミックとか、外部の困難はあったでしょうし、お金か、スタッフの問題でもあったんだろうかと少し勘繰りました(苦笑
5、
体調不良とかいう記事を見ていたので、岩男さんが登場していたのは良かったです。
アニメ映画ヒットの守護神神木大明神も登場していたし、営業的に合格の5,60億はいけるんじゃないでしょうか。
ひょっとしたら、100億いくかも ただ、鬼滅にはなぁ・・・
6、
この後ですけれど、碇シンジの物語はもう終わりという気がします。
あるとすれば、むしろプレストーリー。葛城博士とか
最後に、庵野監督以下スタッフの皆様、ありがとう お疲れ様でした。