摩緒 続「あの日」について

菜花が護り刀を持つようになって話が一挙に進展。

大五が復活。ただ、最終段階で灰丸が復活に関わっているのが意外。

また、夏野が900年間探していたのはバラバラになった大五の体で土の気によって生かされていたか、復活したかしたものという事のようだ。

しかし、大五が呪殺されたとしても五体バラバラにはなっていなかった筈でここは何時死んだのかも含めて疑問が残る。

宝物殿に火を放ったのはやはり百火だったが、その経緯まで明らかになりそう。紗那に頼まれたのも間違いないと思われるが、紗那の意図にどの程度踏み込んでくるのか。

 

大五が黒幕というか、いわばラスボスと推測してきたが、復活していた時の「さ・・な・・・」の言葉がいとしい人を求める言葉なら単純な黒幕ということにはならないかもしれない。

一方、紗那の心臓が必要でそれを求めての言葉だとすると、想像以上に極悪非道の黒幕wという可能性もでできそう。

ただ、自分には紗那の忠実なペットwにみえる灰丸=猫鬼が大五を最終的に復活させたので、極悪非道の黒幕の可能性が薄れた印象。

いずれにしろ、次号が楽しみ。

 

MAO 摩緒が猫鬼の体と一体化し、紗那が逝った「あの日」についての覚書

非常に雑な覚書ですが、「あの日」の事を整理してみます

 

*まず、猫鬼が摩緒に問いかけたお題が3つ

1,師匠を殺したのは?
 幽羅子、白眉、大五あたりが候補

2、宝物殿に火を放ったのは?
師匠を殺した人間に加えて、案外百火の可能性も

百火は遅れて現場に現れて、その間何をしていたのか、はっきりしない
ただ、紗那が亡くなって激しく動揺していたので、紗那が逃げるので
宝物殿に火を放ってほしいと頼まれたとかの事情があればの条件付


3、摩緒に矢を射掛けたのは?
はっきりした描写はないが、切りかかった不知火がその流れで矢を射掛けたか

*猫鬼が「あの日」泰山府君の術書を取り込んだ理由
すでに猫鬼となっていた灰丸が自分の意思で取り込む理由はなさそう
師匠か、紗那の意思に従ってというのがありそう

*紗那は「あの日」どういうつもりだったのか
夏野の回想で、紗那が師匠の死が摩緒によるものでないことを知っており、
かつ、摩緒と猫鬼が闘う羽目になった事態は予想外だったよう
個人的推測だけど、騒動を起こして御降家から逃亡するつもりが
思わぬ事態になった?

*紗那を殺して、心臓を持っていったのは?
幽羅子が関わっているのは間違いなさそうだが、黒幕はいそう

*白眉、あるいは不知火が摩緒が猫鬼と体だけではなく、一体化したと思っているのは?
実際の現場を知らないということはもちろんだけれど、何らかの計画(師匠の発案?)があって
猫鬼と摩緒を一体化させて、使役する予定だったのでは

泰山府君の術は、身代わりを使った延命術のようなので、師匠あたりが自分の延命を図るために
猫鬼と摩緒をはめるつもりで、師匠の子飼いの白眉はそれを実行する担当だったとか
ただ、この計画も想定外の事態(特に師匠の死)に至った

 

*現状、自分は大五が生きていて、紗那に泰山府君の術を灰丸=猫鬼に盗ませて、駆け落ちしようと持ち掛けたというのがありそうな気がしています。

仮に、そうだとしても、師匠の計画を利用して、自分が全てを手に入れようとした・・・のか、ロミジュリみたいに、本当に紗那と逃げようとしたのに上手くいかなかった・・・のか。

幽羅子や夏野を使って、反魂の法で紗那を甦らせようとしている気がするのですが、「そこに愛があるんかw」とどっかのCMみたいな疑問が生じています。

 

高橋留美子さんなので、女性を騙した男には過酷な運命が待っていそうですが、果たして?

大五が本当に死んでいれば、全くの的外れな覚書wになりますが、そこはご愛嬌。

 

 

 

 

 

 

 

ヱヴァンゲリオン新劇場版完結編 感想 (バレあり)

久しぶりに、書き込みます。

といっても、アクタージュではなく、ヱヴァの新劇場版完結編の感想(笑

 

 

 

1、

Qのヒキが魂のルフランが流れるシト新生のヒキとあまりに違いすぎて
観るのを迷っていました。
結論からいうと、自分は観て正解でした。
ただ、ふしぎの海のナディアの最終回のようなある意味予定調和のストーリー
なので、そこはビミョーでした。

*追記1

ビミョーというか、 何か引っ掛かりを覚えるところだったのですが、ようやく自分なりに考えがまとまりました。

今回、前半の第三村の生活でシンジは「補完」されており、後半のフォースインパクトがらみで描かれたのは、「補完」がなって大人になったシンジと父ゲンドウとの対決≒「対話」であるというところでした。ナディアの場合、彼女の「補完」は最終決戦のなかで成されており、そこが完結編との違いですね。

逕庭拳wのような時間差があり、そこが引っ掛かりを覚えたところでした。

ただ、そう思ってみると、第三村での前半部分が非常に重要ということになります。再度、観ようという気になってきたのですが(笑、こんどは前半部分に集中したいと思います。

 

 

 

 

2、

その中では一番のサプライズだったイスカリオテのマリアオチは、
マグダラのマリアイスカリオテのユダとの合わせ技?
このオチをいつから考えていたのかに興味があります。

登場させた時から、こういうオチの予定だったんでしょうか。

 

*追記2

ちなみに、マリは設定からいってシンジより一回り以上は年上であろうし、見かけはともかく大人の女性として、大人のシンジと接していく事になるんでしょう。

マリとシンジの触れ合いがほとんど描かれていないのになぜ?と不満を感じる人もおそらくいるかと思います。ただ、大人になったシンジに大人の恋人が出来たということを示す役割のキャラというのがマリの役回りだったと思えば、これもありというのが自分の考えです。

子供が大人になる話がエヴァンゲリオンで、大人の恋愛を描くのは、また別ということで(笑

 

3、

新劇場版を始めた時、庵野監督の前進宣言がありましたが
ストーリーを一歩進めたのでその意味では公約達成ですね。
監督も年齢的に14歳のシンジに感情移入するのは難しくなってくるだろうけど、
その割りに、大人や親の描き方が不満だったのでそこに踏み込んだ事自体は納得です。
ただ、大人の描き方が十分だったかは判断が難しい。

ミサトや梶といった実質的にシンジの親の役目を果たしていたキャラが自分たちの子を成して

シンジと距離が出来た反面、トウジ・ケンスケ・ヒカリといったキャラがいろんな経験の積み重ねを感じさせる本当の「大人」になって、補完計画によらずにシンジを救ったというのは味わい深いものがありますね。

一方で、ゲンドウはすごく小さな存在になっていきました。父親越えというのは少年にとっては

一つの大きな区切りなのですが、それがなったということですか。

 

4、

作画のことはよく分からないですが、庵野監督にしては止め絵が
結構多いように感じました。裁判とか、パンデミックとか、外部の困難はあったでしょうし、お金か、スタッフの問題でもあったんだろうかと少し勘繰りました(苦笑

5、

体調不良とかいう記事を見ていたので、岩男さんが登場していたのは良かったです。
アニメ映画ヒットの守護神神木大明神も登場していたし、営業的に合格の5,60億はいけるんじゃないでしょうか。
ひょっとしたら、100億いくかも ただ、鬼滅にはなぁ・・・

6、

この後ですけれど、碇シンジの物語はもう終わりという気がします。
あるとすれば、むしろプレストーリー。葛城博士とか


最後に、庵野監督以下スタッフの皆様、ありがとう お疲れ様でした。

アクタージュ 覚書 その26 (打ち切り終了・続きについて&これから読んでみようという方へ  )

1、覚書 その1でも触れましたが、打ち切り終了について書かないわけにもいかないでしょう。

 もちろんアクタージュの続きを読みたい気持ちはあります。

 

2、ただ、あくまで、自分が好きだった「アクタージュ」という作品の続きを読みたいのです。

そして、原作者が不祥事を起こして、打ち切り終了という現実の下で、自分の好きだった

「アクタージュ」という作品の続きを読む事は出来なくなったと思い知らされています。

 

3、個人的に、作品世界を破壊してしまった原作者が関わる形のアクタージュは受け入れられないです。つまり、原作「マツキタツヤ」という作品はもはやアクタージュではないと・・・

原作者、もう元原作者ですが、犯した事について法的、社会的に責任を負うことがあるのは当然ですが、それは、作品とは別次元の話でもあると考えます。

単に漫画の読み手にすぎない自分が問えると思うのは、クリエイターとして作品世界を壊してしまったことへの責任です。役者の「覚悟」というものに作品中で何度も触れておきながらの不祥事、他者を傷つける不祥事は、作品世界を破壊してしまっており、クリエイター失格と言う外ないです。

ですので、この先、何らかの形で、原作者による「コレがアクタージュの構想だった」的な暴露がどこかのメディアでされても、それをアクタージュの続きと認めることさえ、できそうにないです・・・

 

4、正直にいうと、原作者不祥事報道直後は、作画の宇佐崎先生が話も考えるか、あるいは、新たな原作者がつく形なら、夜凪景というキャラクターを中心とする作品世界はまだ守られるかもというわずかな希望を持っていました。

例えば、あしたのジョーは仮に原作がどこかで離脱を余儀無くされても、ちばてつや先生によって続ける事は可能ではなかったかと。

ただ、実際実現は困難とも理解していましたし、それ以上に、宇佐崎先生が終了と判断された以上、アクタージュの終了はやむをえないのでしょう。

 

5、というわけで、アクタージュに続きはないという事実を受け入れていく日々というのが、つまらない結論です(苦笑

 

6、単行本には載らない形の話をまとめてきて、改めて思うのですが、アクタージュという作品はやはり面白かったなぁと感じています。

キャラクターが魅力的なのに加えて、芝居という背景を上手く生かしてきたと思います。

もし、夜凪個人の心情の掘り下げにこだわりすぎていれば、かなり窮屈な話になっていたのではないでしょうか。芝居を通して、キャラが成長していき、世界が広がる話になっていました。

キャラクターの魅力と物語の背景がマッチするのは狙っていてもなかなか出来ない事だと思います。そういう作品は奇跡的な存在です。

それだけに、この結末は本当に残念ですね。

 

7、出荷停止、配信停止という事態ですし、これから読んでみようという方もまずいらっしゃらないでしょうね。ただ、奇特な方がいらっしゃるならば、この覚書が多少とも役立つならば幸いです。

 

 

 

 

 

アクタージュ 覚書 その25 (詳細が明かされなかった3人のキャラ雑感)

個人的に、掘り下げを期待していたのですが、かなわなくなったキャラ3人・・・

 

1、黒山の師

巌が黒山にお前は師に似ているといい、黒山が師匠ではないと否定するキャラ。

知名度はともかく演出家として相当の力量があった人物なのでしょう。

おそらくは映画監督か。

 

2、星アリサの夫

作中、一度も触れられていないのがかえって何かあると感じさせたキャラ。

おそらくは故人でしょう。

故人だとすれば、この人を失ったことがアリサが女優を引退するきっかけになり、

巌の舞台が言葉は悪いですが、とどめになったのか。

 

どんな人物だったのか。

アリサが30そこそこで女優を引退し、そこから、スターズを一から立ち上げてあそこまで大きくしたというのは無理があるような気がします。

というのは、アキラをもう子役として売り込むぐらいの力をスターズは持っていたようだからです。

先代のスターズの社長なのか?

アリサを大女優にした映画監督で、会社を立ち上げたのはアリサの夫というのもありかも。

黒山の師でもあると、無名の黒山がアリサに可愛がられている(?)ように見えるのも理由がつくかなと妄想していたのですが、妄想しすぎかもしれません。

 

3、夜凪の父

上記2人よりは多くの描写がみられますが、それでも、まだまだ謎が残ったキャラ。

羅刹女編でも、夜凪が直接父親を乗り越えていったとは言い難い気もしたので、

どこかで、直接の絡みが予定されていたかもしれません。

今は、小説家ということですが、その前は映画に関する事をやっていたのでしょうか?

ただ、

ビデオはたくさんあっても撮影関係の機材などはなかったところをみると、脚本家だったのでしょうか。世間的には有名ではないのでしょうが、花子の口ぶりからすると、芸術家としての才能がない人物ではなさそうです。

ちなみに、父といえば、夜凪の母にも触れないわけにもいけないのですが、彼女は父以上によく分からないですね。

最後まで、父を恨むことはなかったようなのですが、父本人か、それとも、父の才能を愛していたのか。あの状況で3人の子供達にキチンと愛情を注ぐというのは誰でもできることではないでしょう。

 

 

 

 

 

アクタージュ 覚書その24 (scene123 毒 2020WJ36・37合併号 バレ) (最終話)

大河ドラマは、1話約45分

月曜にリハーサル 火曜から金曜までで1話を撮り終えるルーティーンを1年 続ける

 

月曜 大河”キネマのうた” 第一話 リハーサル日 

 

★皐月の自宅 タワーマンション

 

目覚める皐月 「この世のどこにあなたを演じられる女優がいるのか」という真美の言葉を思い出す

一人、リビングでシリアルを食べ、親が用意した中学受験の案内には目もくれず、脚本を読み返す

 

エントランスに出ると、「スミス」の他に、夜凪・環・柊が迎えに来ていた

ぱっと顔を輝かせるが、すぐに一人でも大丈夫と強がりをいう

 

★”キネマのうた” スタジオ

改めて、あいさつをする皐月。

個性派男優が「安心しなよ」「おっかないババアは来ていないから」と伝法に声をかける

 

それを聞いた夜凪が血相を変え、真美の連絡先を教えて欲しいとスタッフに掛け合う。

が、皐月は「私は大丈夫だから」と夜凪を制止

環も出過ぎると皐月に恥をかかせるとたしなめる

「はい」と答えた夜凪に、大人も子供も対等な世界なんて奇妙だよねと続ける

 

リハーサルが始まる

ベテランの「スミス」さんは緊張しませんよねと柊に声をかけられるが、「スミス」は油汗を浮かべて「いえ」と答えるのが精一杯だった

 

「どうして!?どうしておばあちゃんは映画が嫌いなの!?」

子役芝居が抜けていると、皐月の芝居は好感をもって受け入れられていた

 

監督の犬井 

環から役作りのために鎌倉で共同生活をすると告げられた時のことを思い出す

スターズがそんなことを許すはずがないと応じるが、環はスターズも少しずつ変わってきていると返す

 

犬井が手を叩いて、リハーサル終了

まだ、緊張が抜けきらない皐月を「良かったです」と評価する

 

犬井の背後に、笑顔を浮かべてうなづく夜凪を見つけ、皐月は頬を紅潮させる

 

次のリハーサルまで休みといわれた皐月

「おしっこ」と(笑と一目散にスタジオから走りでる

心配した「スミス」が後を追うと廊下で手ごたえを感じて、「よし」と一人喜ぶ皐月の姿があった

顔をほころばせる「スミス」・・・

 

「こういうことね。こどもの成長が怖いって。」と突然、背後から夜凪に声をかけられて吃驚。

皐月にバレないように戻りましょうと声をかけ、夜凪と話しているうちに、皐月に俳優を続けられなそうな気がしてきたと思わず口を滑らせてしまう。

 

どういうことかと尋ねようとした夜凪は、うっかり皐月の自由帳を落としてしまう。

拾おうとして、大河での演技を母親に褒められ、「あなたは大人になっても女ゆうよ」といわれるページが目に止まる。

やむなく、「スミス」は芸能活動は子役のうちだけというのが皐月の母親の意向だったと明かす。

 

★鏡の前で髪を整える皐月

 

芸能活動を続けたい皐月はこの大河で母親の気持ちを変えるつもりだったと始めて知り、思わず手を握り締める夜凪。

・・・だから、あんなに一生懸命に・・・

 

二人の会話を耳にしたのか、環が物憂げに言う。

子役は大概親が始めさせるが、『子供のために』足を洗える準備をしておいたりもする。

「勝手なもんだよ。大人なんてさ。」

 

無言で見返す夜凪。

 

★スモーキングエリア

脚本の草見修司とプロデューサーの中嶋が話している。

草見の名前がなければ企画が通らなかったと礼を言う中嶋。

しかし、自分は近現代劇をプロデュースという中嶋の覚悟に乗っただけと草見。

相応の覚悟がなければ、薬師寺真美は起用しないと続ける。

薬師寺真美、あれは毒ですよ。」

 

薬師寺真波の墓に向かう真美の後姿

 

 

柱 アオリ 真美不在のリハを終え、いよいよ本番・・・皐月の命運はー!?

 

 

*と、ここで終了ですか・・・仕込みを終えて、まさに、これからというところ。

なんとも罪深い最終話ですね。ため息しかありません。

 

*最後、無言の夜凪の表情ですが、なんともいえない目をしています。

悲しんでいるようにも、何かを見届けようとしているようにも、決意をしたようにも

感じとれるところです。

どういう結末になるにせよ、皐月から託されるものを喰らって、芝居をするのでしょう。

 

*単行本の形にはならない部分のバレ・感想が終わって、自分も一区切りしました。

後は思いつくまま、少し書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アクタージュ 覚書 その23 (scene122 挨拶 2020WJ35号 バレ)

表紙絵 カラー 環蓮  アオリ 大河ドラマ「キネマのうた」主演 環蓮。

 

★鎌倉生活 4日目 最終日

 

★古民家

本読みをする皐月 

「わぁ・・・撮影所、この町に撮影所ができるんだ・・・」

 

自分の知る皐月の可愛らしさが恒間見えるようになってきたと感じる夜凪。

「きっとお母さんが私に女優になれって言ってるんだ!」

なおも、本読みを続ける皐月をみつめ続ける。

 

その夜凪をみて、皐月に「同調」しようとしているのかと看破する環。

・・・この子の本当の目的は童心を演じる皐月の気持ちを追体験すること。

こうやって、自分の中の役を増やしてきたんだ。

身の回りのもの。全て食べ物。まるで怪物だ。・・・

 

皐月の本読みが終わる。

「どう?」と尋ねる皐月。「うん、いいね。」という環の答えは夜凪に対するものでもあった。

頼もしいな と笑みを浮かべる。

 

★砂浜にて

鎌倉を発つ前に、母親へのおみやげを浜辺で探す皐月。

その様子をみながら、「子供の成長はすごいね。」と環が夜凪に話しかける。

「え?」となる夜凪に、皐月で役作りをしているくらい、早熟の君には分からないかと続ける。

対して夜凪。環は皐月をベースに役作りということはしないのかと問い、自分はそれほど器用ではないという答えに、、それなら、なぜ、わざわざ鎌倉に?と重ねて尋ねる。

 

心配してくれているなら、「甘くみられているなぁ 私も」と環。

大河の主演の印象を自分から奪うのが黒山と君の狙いだろとズバリ当ててみせる。

それなら、どうして協力してくれたの?という夜凪に、「先輩だから?」とあっさり答える。

後輩に一番実力を発揮できる環境を与えて、最後にその上を行く。

「それが作品にとって最善でしょ?」

 

この人、まるで私を脅威と思っていないと環の器の大きさを感じる夜凪。

「ありがとう」

 

東京に帰ろうと声をかけたが、皐月にいつもの元気がない。

真美が待つ大河の撮影現場がプレッシャーとなっているのだ。

環の提案で、気分転換に薬師寺真波の墓参りに行く事にする。

 

円覚寺(仮) 

そこに真波の墓があった。

命日ということもあって、供物でいっぱい。

「逝去後40年余、これほど愛される女優はいない。彼女は日本一の女優だと思うよ」と環。

 

日本一の女優という言葉に、かつて家にあったビデオで見た薬師寺真波を思い出す夜凪。

モノクロだけどモノクロと感じさせない。鮮やかだけど落ち着いている。

見ているだけで、眠くなるような子守唄のような女優・・

そういう女優を私たちは演じると

 

何度も手を合わせる皐月。会ったこともないすごい人を勝手に演じることを謝っているという。

環は遺族等関係者の承諾は取っており、皐月が負担を感じる事はないとたしなめる。

でも、あの人=真美には認められていないと話す皐月。

今度は夜凪が「だからあの作戦を実現させるのでしょう」と励ます。

「うん。」

 

そこへ「あら、こんにちは」と墓参に薬師寺真美が現れる。

 

気圧される皐月の肩にそっと手をかける夜凪。

 

ついに、大河と薬師寺真波も歴史にされてしまったと嘆いてみせる真美。

「この世のどこにあなたを演じられる女優がいるのか。」

 

ならば、どうして大河で取り上げられることを承諾されたのかと問う夜凪。

それには、何も答えず、去っていく薬師寺真美。

 

残された三人の女優。

主演の環が宣言する。

「皐月、大丈夫だよ。見せてやろうぜ。21世紀の女優って奴を。」

 

以下 次号

 

*鎌倉編の最終エピソード。次号から「キネマのうた」編に入るところ。

しかし、この号が販売されている時に打ち切りが告知されるという事態になり、

キチンと読めていなかったエピソードでもあります。

 

まずは、環蓮のさすがトップ女優という器の大きさですね。

夜凪も改めて目標のすごさに感じ入っているようです。

環蓮については以前も考察をこころみましたが、現状こんなふうにまとめられるのかと

思っています。

「たんぽぽ」に主演して、「自分を知る」「自分の美しさを見つける」という役者の第一歩を踏み出した環の才能は一挙に開花します。その才能とは「自分を知る」「自分の美しさを知る」というところから転じて、「他人を知る」「他人の美しさを知る」ということが役者でありながら出来るという事ではないでしょうか。元々、そのような才能(観察力・洞察力)もあったのでしょうが、そもそも、「自分を知る」「自分の美しさを知る」という体験自体が「たんぽぽ」以前はなかったので自分の観察力や洞察力といったものを他人に向けるという発想に至らなかったのではないかと。

 

次に、薬師寺真波ですね。日本一の女優と呼ばれる存在というのはリアルでもなかなかいないような気がします。夜凪の真波評だけからは具体的にどのような女優なのかを考えるまでには至らないのが残念ですね。

昭和3年生まれで、40年前には亡くなっているということは50歳ぐらいでなくなっているということでしょうか。夜凪の語りからはモノクロ作品が主だったということのようにも思えますが、そうだとすると、役者としての活動期間は意外に短かかったのでしょうか。モデルの一つになっていると思われる原節子さんで大正9年生まれですが、それよりも短い?

ちなみに、円覚寺(仮)に墓があるというのは、原節子といえばという因縁深い小津監督の墓があるからでしょうか。

 

最後に薬師寺真美ですが、自分の中での母親であり、師でもある真波の存在が大きすぎて、自分では真波を演じられないんでしょうか。

そして、かつて、もっとも薬師寺真波を演じる可能性があると認めたのが、星アリサであり、それゆえに、真波を演じることなく、役者を捨てたアリサを許せないということなのかもしれません。