表紙絵 カラー 環蓮 アオリ 大河ドラマ「キネマのうた」主演 環蓮。
★鎌倉生活 4日目 最終日
★古民家
本読みをする皐月
「わぁ・・・撮影所、この町に撮影所ができるんだ・・・」
自分の知る皐月の可愛らしさが恒間見えるようになってきたと感じる夜凪。
「きっとお母さんが私に女優になれって言ってるんだ!」
なおも、本読みを続ける皐月をみつめ続ける。
その夜凪をみて、皐月に「同調」しようとしているのかと看破する環。
・・・この子の本当の目的は童心を演じる皐月の気持ちを追体験すること。
こうやって、自分の中の役を増やしてきたんだ。
身の回りのもの。全て食べ物。まるで怪物だ。・・・
皐月の本読みが終わる。
「どう?」と尋ねる皐月。「うん、いいね。」という環の答えは夜凪に対するものでもあった。
頼もしいな と笑みを浮かべる。
★砂浜にて
鎌倉を発つ前に、母親へのおみやげを浜辺で探す皐月。
その様子をみながら、「子供の成長はすごいね。」と環が夜凪に話しかける。
「え?」となる夜凪に、皐月で役作りをしているくらい、早熟の君には分からないかと続ける。
対して夜凪。環は皐月をベースに役作りということはしないのかと問い、自分はそれほど器用ではないという答えに、、それなら、なぜ、わざわざ鎌倉に?と重ねて尋ねる。
心配してくれているなら、「甘くみられているなぁ 私も」と環。
大河の主演の印象を自分から奪うのが黒山と君の狙いだろとズバリ当ててみせる。
それなら、どうして協力してくれたの?という夜凪に、「先輩だから?」とあっさり答える。
後輩に一番実力を発揮できる環境を与えて、最後にその上を行く。
「それが作品にとって最善でしょ?」
この人、まるで私を脅威と思っていないと環の器の大きさを感じる夜凪。
「ありがとう」
東京に帰ろうと声をかけたが、皐月にいつもの元気がない。
真美が待つ大河の撮影現場がプレッシャーとなっているのだ。
環の提案で、気分転換に薬師寺真波の墓参りに行く事にする。
★円覚寺(仮)
そこに真波の墓があった。
命日ということもあって、供物でいっぱい。
「逝去後40年余、これほど愛される女優はいない。彼女は日本一の女優だと思うよ」と環。
日本一の女優という言葉に、かつて家にあったビデオで見た薬師寺真波を思い出す夜凪。
モノクロだけどモノクロと感じさせない。鮮やかだけど落ち着いている。
見ているだけで、眠くなるような子守唄のような女優・・
そういう女優を私たちは演じると
何度も手を合わせる皐月。会ったこともないすごい人を勝手に演じることを謝っているという。
環は遺族等関係者の承諾は取っており、皐月が負担を感じる事はないとたしなめる。
でも、あの人=真美には認められていないと話す皐月。
今度は夜凪が「だからあの作戦を実現させるのでしょう」と励ます。
「うん。」
そこへ「あら、こんにちは」と墓参に薬師寺真美が現れる。
気圧される皐月の肩にそっと手をかける夜凪。
ついに、大河と薬師寺真波も歴史にされてしまったと嘆いてみせる真美。
「この世のどこにあなたを演じられる女優がいるのか。」
ならば、どうして大河で取り上げられることを承諾されたのかと問う夜凪。
それには、何も答えず、去っていく薬師寺真美。
残された三人の女優。
主演の環が宣言する。
「皐月、大丈夫だよ。見せてやろうぜ。21世紀の女優って奴を。」
以下 次号
*鎌倉編の最終エピソード。次号から「キネマのうた」編に入るところ。
しかし、この号が販売されている時に打ち切りが告知されるという事態になり、
キチンと読めていなかったエピソードでもあります。
まずは、環蓮のさすがトップ女優という器の大きさですね。
夜凪も改めて目標のすごさに感じ入っているようです。
環蓮については以前も考察をこころみましたが、現状こんなふうにまとめられるのかと
思っています。
「たんぽぽ」に主演して、「自分を知る」「自分の美しさを見つける」という役者の第一歩を踏み出した環の才能は一挙に開花します。その才能とは「自分を知る」「自分の美しさを知る」というところから転じて、「他人を知る」「他人の美しさを知る」ということが役者でありながら出来るという事ではないでしょうか。元々、そのような才能(観察力・洞察力)もあったのでしょうが、そもそも、「自分を知る」「自分の美しさを知る」という体験自体が「たんぽぽ」以前はなかったので自分の観察力や洞察力といったものを他人に向けるという発想に至らなかったのではないかと。
次に、薬師寺真波ですね。日本一の女優と呼ばれる存在というのはリアルでもなかなかいないような気がします。夜凪の真波評だけからは具体的にどのような女優なのかを考えるまでには至らないのが残念ですね。
昭和3年生まれで、40年前には亡くなっているということは50歳ぐらいでなくなっているということでしょうか。夜凪の語りからはモノクロ作品が主だったということのようにも思えますが、そうだとすると、役者としての活動期間は意外に短かかったのでしょうか。モデルの一つになっていると思われる原節子さんで大正9年生まれですが、それよりも短い?
ちなみに、円覚寺(仮)に墓があるというのは、原節子といえばという因縁深い小津監督の墓があるからでしょうか。
最後に薬師寺真美ですが、自分の中での母親であり、師でもある真波の存在が大きすぎて、自分では真波を演じられないんでしょうか。
そして、かつて、もっとも薬師寺真波を演じる可能性があると認めたのが、星アリサであり、それゆえに、真波を演じることなく、役者を捨てたアリサを許せないということなのかもしれません。