アクタージュ 覚書 その18 (女優 環蓮)

「100日後に死ぬワニ」ならぬ「7号後に打ち切られる漫画」(苦笑 に魅力的なキャラが出てきました。

彼女はどういう女優なんでしょうか。予測というか、妄想してみたいと思います。

 

1、夜凪タイプではない

夜凪・阿良也・女優時代の星アリサといった別人になりきるタイプではなさそうです。

 後の号に、私は(夜凪のように)器用ではないからという台詞もあり、また、そういう部分で張り合おうともしてないようです。

 

2、王賀美タイプではない

王賀美のような「何を演じても○○」といったタイプでもなさそうです。

 12歳でスカウトされて、アカデミー新人賞を取るのは18歳ということですから、文句なしの存在感を生来持っているという訳ではないのでしょう。

 

3、千世子タイプではない・・・?

文句なしのスターなんでしょうが、エゴサーチして天使の仮面を作り上げていた時代の千世子のようなタイプとは異なるのでしょう。

恋愛関係等、私生活が明らかになっても気にしてないということなので、私生活を含めて

スターを演じているタイプではないんでしょう。

むしろ、弟妹を連れて大根を買いに行く夜凪と似ているかもしれません(笑

 

もっとも、演技に関していうと、天使の仮面オンリー時代の千世子には似てないのでしょうが、デスアイランドで夜凪に遭遇し、羅刹女で黒山の演出を体験した以降の千世子とは

共通点があるかもしれません。このあたり、妄想するにも材料不足ですね。

 

 

4、18歳で役者として開花する=遅れ咲き

スカウトキャラバンでグランプリを取ってデビューということですから、むしろアイドル系路線だったのかもしれません。しかし、17歳当時は現在の千世子程の完成度はおそらくなかったでしょう。

大手事務所にスカウトされたというキャリアの持ち主が、20歳の無名の黒山の映画「たんぽぽ」の主演を努めるという事は普通ありえないでしょうし、何があったのでしょうか。

商業ベースに乗った訳でもないですし、環の方で強い希望があったのかもしれません。顔を映さなかったのは事務所の反対を押し切っての出演だからというのもあるのかもしれません。

それにもまして、尖りまくっていたであろう20歳の黒山がアイドルまがいの「ガキ」に惚れこんで映画を撮るというのは夜凪ならずとも、気にかかるところです。黒山が被写体にしたいと思う「何か」を持っていたのでしょうが・・・

ともかく、この「たんぽぽ」が役者としての開花=役者として何かを掴むことにつながったのでしょう。「たんぽぽ」では演技をしておらず、素の自分を撮ってもらったにすぎないにも関わらずです。

そこからは、18歳でアカデミー新人賞ということですから、1年程度で役者として爆発的に伸びたということになります。努力ももちろんあるのでしょうが、何か秘められた才能=能力があり、それに気づいたということではないでしょうか。

 

5、じゃんけんに負けたことがない=人並み外れた観察力・洞察力の持ち主?

その環の能力ですが、修羅場の経験値の他に、とてつもなくじゃんけんが強いという事があげられています。

これは単なるキャラ付けにも思えませんので、これが環の持つ強みにつながるのでしょう。

この観察力・洞察力を使って、監督以下スタッフ、共演者等の関わりの中で自分を生かした演技をするのが環蓮という女優ではないかと思います。

 

6、具体的には、環蓮が演じているのだけれど、同時に、どうしてもその役にも見えてしまうという演技をするのではないでしょうか。

「キネマのうた」でいえば、環蓮であるけれども、同時に、薬師寺真波であると納得させる感じでしょうか。環蓮にしか見えないという訳でもなく、一方で、薬師寺真波に変身する訳でもないということです。

どういうことかといえば、薬師寺真波そのものが出現。その覚悟に乗せられて共演者も全力で演じるという夜凪にみられるパターンではなく、共演者との関わりを監督的な視点(テーマを踏まえた視点)で捉え直し、共演者との関係の中で薬師寺真波とお客に認識させるようにもって行くというか・・・一般的な役者がやっている当たり前の事を高い精度でこなすというべきでしょうか。自分と自分の演技を俯瞰する能力のさらに上の能力というか、このあたり、自分の考えもはっきり固まっていないので上手く表現できないですね(苦笑

カメラ写りという表面的なレベルを超えて、自分が作品の中でどう撮られているか、撮られるべきかをテーマとの関わりで把握する能力というのか・・・難しいです(苦笑

 

 

7、タイプの違う夜凪は環から学べることはない?→おそらくNO

夜凪は基本自分の中の感情に従って演技する野生児タイプなので、観察力・洞察力に長けた環から学べる事はなさそうにも思えます。

しかし、そうとも言い切れないと考えます。

というのは、「たんぽぽ」を観るエピソードで、作り手の気持ちで観られるようになっていると黒山が成長を認め、環も自分を「たんぽぽさん」と見抜いてからは「墨字君のお気に入り」というだけでなく、「景ちゃん」として夜凪自身を一人の後輩の役者としてみているような気がするからです。修行として物真似しまくっているということですが、物真似のベースには人間観察があるのは当然です。

そもそも振り返ってみると、ウェブCMで「母親の顔」をしている自分に違和感を感じていたりと、メソッド演技の影に隠れていますが。夜凪の観察力・洞察力は決して鈍いものではなさそうです。

 

8、まとめ

以下、環について考えてきましたが、やはり、考える材料が少なく、十分に掘り下げたり、整理するのは難しそうです。

残念ですが、ここまででしょうか・・・