アクタージュ 覚書 その21 (scene120 共同生活 2020WJ32号 バレ)

★北鎌倉 古民家 

雑魚寝をする主演トリオ。

 

江ノ島まで走ってきたので、お腹がすいたと朝食の催促をする環。

早く食べたいなら手伝って下さいと環をあしらう夜凪。

そこへ、風呂掃除を終えた皐月もやってくる。

次は、じゃんけんでトイレ掃除を決めようという環に、夜凪・皐月はじゃんけんに負けない環はおかしいと断固拒否。

 

4日の期間、何をするかを話し合い、まず、皐月の本読みからはじめ、意見の摺り合せをすることにする。

 

表紙絵 皐月 アオリ わたしはもう”さなぎ”じゃない

 

7歳で母をなくした薬師寺真波は鎌倉に住む母方の祖母文代に引き取られる。

無声映画から音声映画に変わっていく時代。映画に夢中になった真波は活弁士だった母の背中を追うように俳優に憧れていた。

しかし、娘を映画に殺されたとさえ思っている文代がその夢を許すはずはなかった。

転機となるのが、昭和11年 松菊撮影所の大船への移転だった。当時、真波は8歳。

 

「・・・わぁ」「撮影所・・・この町に撮影所ができるんだ・・・!」

 

 

皐月の本読み。

丁寧で聞き取りやすく、華がある。弟妹たちと2つ違いだが、やはりプロなんだと感心する夜凪。

しかし、「お芝居が綺麗過ぎる」と指摘する。

見守る環。夜凪の指摘に心のなかでうなづく。

・・・日本の子役は求められる可愛らしさを演じることがクセになっている。それを外すことは一朝一夕にできるものではない。一体どうするつもりなのかな。・・・

 

「真波に会いに出かけよう。」と提案する夜凪。

真波の子供時代を知る人物ははもういない。だから、皐月は自分の中から子供時代の真波を見つけないといけない。、そのために、真波が子供時代に見ていた松菊撮影所を見に行こうと。

 

★松菊撮影所跡

松菊前と標識のある交差点。しかし、撮影所は30年前に取り壊されて、今は大学に。

周囲もスーパーが出来るなど、当時の面影は何もない。

来た意味がない。本読みをしに、戻りましょうという皐月。

 

交差点に一人立ち尽くす夜凪。

一体何を見てと不思議に思う皐月。

 

そのとき、 「わぁ」

 

と8歳の真波の台詞を吐く夜凪。

その眼前に松菊撮影所が広がっているのが皐月にも感じ取れた。

 

「視えているんだね。景ちゃんには。」と環。

 

シェアウォーターのCM撮りの時のアリサの「真似することはない。こういう役者もいることを覚えておきなさい。」という言葉を思い出す。

 

圧倒的な夜凪の異能を再び前にして、ショックを受ける皐月。

真似ができないし、女優として扱ってくれる夜凪・環の期待にも応えられないと・・・

 

その皐月に、「大丈夫よ」と声をかける夜凪。皐月には皐月なりの方法がある。子供の頃、

役者になりたいとすら思わなかった自分と違って、夢を実現した皐月は真波と同じで特別だからと。

 

「ママが女優になりなさいって言ったの。」

真波みたいに、毎日映画を観ていた訳でもなく、誰かに憧れたわけでもない。

あの真美のいう通り、真波の本当の気持ちなんて分からないと泣き出してしまう皐月。

 

「どうしたさつき 泣くことないでしょ よくあることだ。」と頭をなでてやる環。

その才能で皐月を泣かしてしまった夜凪に、「子供だから、真似できない才能を前にするのもはじめてなんだよ。」と語る。

 

皐月に近寄り、ひざまづいて話しかける夜凪。

「人は自分の気持ちが一番分からないものなんだって。でも、それが分からないと役者になれないんだって。」

「今、役者に一歩近づいたわ。」「それとももう役者は嫌?」

 

「嫌じゃない。いつか私が芸能界で一番になるんだから。」と皐月。

「そうよね。」

 

*松菊前交差点でのやり取りが圧巻。

 幼いながら、皐月が役者の覚悟を示した回。皐月はおそらく千世子の子役時代も想起させる役回りなのでしょうから、その意味でも興味深いですね。

夜凪についていうと、自分の才能が他人を追い込む程である事について無自覚なのかと思っていたのですが、ショックを受けた皐月に自分から話し掛けたことで、そうではなかったことが分かります。皐月が弟妹達と同じくらいということもあったのでしょうか。

 

自分の気持ちが一番分からない~という話は夜凪が阿良也から学んだ役作りの極意ですが、

この話を聞く時の環の表情が微妙でした。ここまで分かっているのかという得心の表情にも、やや意表をつかれたようにも思えたのですが、果たしてどうだったのか。

今回の共同生活エピソードですが、「たんぽぽ」の時の撮影時に、今の皐月と同じように多くのものを黒山から環も学んだというようにも思えますね。だから、この共同生活に同意したということなのかも。